拝啓

拝啓 宮森 勇人 さま

2019年12月23日。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」

川端 康成さんの言葉さながら、長い暗闇から一転、「白」一色に覆われた湯沢の街を照らす太陽の光で、ボクは眠りから覚めた。

2日間の東京旅を終え、多少疲れが出ていたようだ。

金沢に到着するまでのあいだ、車窓に流れる美しい景色と言葉を交わしながら、キミに宛てた手紙を書こうと思う。

「1円にして。」ボクが友人にアート作品を譲ってもらうときにお願いしたこと

最初はこんなタイトルでブログ記事を書こうかと思ってた。

だけどたくさんの人に読んでもらうことより、なぜか宮森に宛てた手紙を書きたくなった。

大丈夫。愛を綴ったラブレターではないから安心して読んでくれ。

「お金」の正体を教えてくれたことに、何よりもお礼を言いたい

               (作品:「たった一人の熱狂」)

昨日は本当に本当にありがとう。

初めてアートの世界に触れ、初めてアート作品を買うという貴重な経験をさせてもらった。

そしてその経験からボクは学んだ。

「お金」というものの正体を。

お金とは「価値や信用を数値化したものだ」みたいに言われるけど、頭ではなく肌感覚でこのことを理解できた。

これは本当に嬉しい。

これまでボクは、公務員を辞めた後に必ずお金の問題に直面するであろうことが怖くて仕方なかった。

でも今朝起きてからは、清々しいほどにその恐怖がない。

そして気づいた。

恐怖がない理由は、「お金」の本質を心で理解することができたからだ。

頭じゃなく、心でね。

正直「お金とは何ぞや」ということをまだ言語化できる自信はないし、この手紙でそれを語ろうとも思わない。

けど「お金」の本質を理解できたこと、これが宮森に一番感謝したいことだから、言及させてもらったよ。

個展に行く前、ふと立ち寄った渋谷のカフェにて

昨日は個展が終わる間際1時間というギリギリの時間にお邪魔してごめんね。

けど一応これには理由があって。

言い訳みたいになってしまうけど、言い訳させて。

わざとギリギリにお邪魔したのは、6日間に及ぶ渋谷での個展において、ボクが宮森の作品を買った最後のお客さんになりたかったから。

(「お客さん」という言葉が適切か分からないけど、そこはスルーしてね)

ホントは昨日、宮森の個展が開場する正午より少し前に渋谷に着いてはいたんだ。

宮森のアートに込める想いをゆっくりと聞きたくて、早めの時間からお邪魔するつもりだった。

その前に渋谷のカフェに寄った。

渋谷のカフェでノートパソコン開くとか、ノマドワーカーみたいでカッコいいじゃん?

一度そーゆーのやってみたくて(笑)

そのカフェでツイッターをしばらく眺めていると、宮森からのツイートが目にとまった。

そのツイートには「個展最終日、黒字まであと少し足りない。5度目の個展で初めての赤字か。」って書いてあった。

それを見たときに思ったんだ。

ボクが最後のお客さんになって、宮森の今回の個展を黒字で終わらせたいって。

これは別に宮森を助けたいとか、カッコつけたいとか、そういうんじゃなくて。

(あ、ごめん。カッコつけたい気持ちは多少あったわ。ヒーローは遅れてやってくる的なやつね。)

実は個展にお邪魔する前から宮森の作品「プロローグ」を買おうって決めてた。

作品の存在を知ったのは個展開始の数日前だったかな。

宮森がツイッターで、初のTシャツアートに挑戦したとして、「プロローグ」の写真を投稿したのがきっかけだった。

躍動感あふれる作品をシンプルにカッコいいと思ったが、何より作品のタイトル「プロローグ」が、これから独立を志そうとするボクにピッタリだと思った。

作品の存在を知った瞬間に購入を決めたけど、宮森の作品は「相談価格」だっていうから、どんな値段つければいいか分からなくって。

もちろん「相談」してから決めるから「相談価格」っていうんだろうけど、アートの知識もなければ、アート作品の価値も分からないボクには値段のつけようがないって思ってた。

そんなところに「黒字まで足りない」ってツイートを見たもんだから、値段を決めるヒントをもらったような気がしたんだ。

個展会場「ギャラリー ルデコ」にて

(作品:「黒の衝撃」)

個展にお邪魔したとき、終了間際だというのに本当に嬉しそうな顔でボクを迎え入れてくれてありがとう。

嬉しかった。

そして宮森が生き生きと来場者の方に作品の説明をする姿を見て、もっと嬉しくなった。

来場者の1人、とある起業家さんが「黒の衝撃」という作品に目をつけられていたとき。

宮森は「ヨウジヤマモト」の話を引き合いに出して、作品に込められた想いを熱く語ってくれたね。

1980年代当時、ファッション界においては反抗を意味する色としてタブー視されていた「黒」を全面的に押し出し、パリコレを機に脚光を浴びた「ヨウジヤマモト」の反骨精神が後に「黒の衝撃」と呼ばれるようになったことを踏まえ、自身(宮森)の作品である「黒の衝撃」には“常識を覆す”というメッセージを込めた。

「黒の衝撃」に目をつけられていた起業家の方は普段からアートに造詣がありそうだった。

そして「黒の衝撃」を真剣な眼差しでずっと見つめていたけど、作品の価値に見合うお金を今は工面できないと、本当に悔しそうな表情を浮かべて帰って行かれたよね。

やがて個展は終了時間である17時を過ぎ、来場者の方々は帰って行かれた。。。

あのときボクの心は激しく揺れ動いていたんだ。

当初から欲しいと思っていた作品「プロローグ」よりも、「黒の衝撃」がカッコよく見えていたから。

だけど「黒の衝撃」を心から欲している起業家さんの顔が頭によぎって、ボクよりもちゃんとアートを理解する彼が作品を手にいれるべきなんじゃないかなぁとも考えた。

宮森には思ったことをそのまんま告げた。

宮森はすかさず言ったよね。

「キミはどうしたいの?」

ボクはすぐには答えられなかった。

「プロローグ」か「黒の衝撃」か、心底迷っていたから。

「『プロローグ』の説明もさせてもらっていいかな」

宮森が「プロローグ」について説明してくれたとき、宮森の心臓が高鳴る音が、ボクには確かに聞こえていたよ。

キャンパスとしたTシャツにもともと描かれている絵は、映画「イントゥザワイルド」をモチーフにしたもの。

映画「イントゥザワイルド」は、エリートコースを進む青年が大学卒業後に全財産を捨てて、人生と向き合うために身ひとつでアラスカへと向かう物語。

物語の最後、青年はアラスカの荒野の真ん中、捨てられたバスの中で遺体となって発見される。

青年は短い生涯に幕を下ろしたものの、荒野で綴った日記は人生を発見した喜びに満ちていた。

この物語を背負ったTシャツの心臓部分を、反骨心を表す色、黒の塗料をつけたボクシンググローブで何度もなんども殴り続けた。

死をも覚悟するくらいの情熱で心臓をたぎらせ、挑戦しよう。

Tシャツの腰あたりの部分には香取慎吾さんのエピソードを踏まえ、今物語を始めようというメッセージを込め、「NOW」の文字を描いた。

この説明を聞いたとき、ボクは涙がこぼれるほど嬉しかった。

「この作品、ボクのために作ってくれたんだね?」

ボクが聞くと、宮森は「ハハッ!」って無邪気に笑い飛ばしてたね。

今振り返ると、ボクが「黒の衝撃」を欲しいと思った理由は、「他人軸」と「見栄」だったのかもしれない。

「黒の衝撃」は視覚的にも、込められたメッセージ的にもめちゃめちゃカッコいいのは確か。

それは間違いない。

だけどあのときのボクは、自分よりアートを理解する起業家さんが「黒の衝撃」に高い価値をつけたことに判断を委ねようとしていた。

それに、家に飾ったときのことを想像すると、Tシャツではなく絵画の形をしているものの方が他人ウケすると思っていた。

宮森が「プロローグ」に込めたメッセージについて、命がけとも言える熱量で説明してくれたおかげでボクは自らの意思で購入する作品を決めることができた。

本当にありがとう。

作品「プロローグ」にボクがつけた値段について

これについては今朝宮森に送ったLINEメッセージに想いを込めたから、これからの自分への戒めも含めて、もう一回ここに書くね。

昨日は本当にありがとう。

宮森との会話と、宮森の作品を買わせていただくという行為をとおして、「お金」の正体が分かりました。

今はとてもとても清々しい気分です。

まだお金払ってないけどね。笑

きちんと精算して、

「個展開催にかかった費用」ー「集まった金額」+「1円」

の金額を教えてください。

これが宮森の作品を買わせていただくという自分の行為に見いだす「価値」であり、それを数値化したものが「値段」です。

昨日はだいぶ慌ただしくて伝えきれんかったかもしれんから、この「値段」に決めた理由はブログにでも書いてみようかと思います。

あ、今思いついたけど、この文面はぼりに転送しておきます。

俺が宮森に対してお金をしっかりとお支払いすることを見届ける「証人」に勝手に任命します。

ぼりには迷惑やろうけど笑

ボクが「プロローグ」につけた値段は

「個展開催にかかった費用」ー「集まった金額」+「1円」

と表現したけど、これには2つの意味があって。

ひとつは宮森の個展を今回も黒字で終わらせて欲しいという想い。

宮森が創作活動を資金不足で断念するようなことになったら本当に残念だから。

もうひとつはボクが「プロローグ」という作品に支払う対価によって、「1」という数字を生み出し、ボクの挑戦のプロローグとしたいという想い。

お世辞でもなんでもなく、今回ボクは人生で1番の買い物をさせてもらったよ。

それにしてもアート作品を生み出すってのは、スゴいことだよね。

もともとこの世には

  • 1つのアートに支払われることとなるお金
  • 1枚のペインティングが施されたTシャツ

この2つのモノが存在していた。

この2つのモノは昨夜、宮森とボクとの対話をとおして、

  • 1つのアートに支払われたお金
  • 1つのアートに支払われたお金以上の「価値」

へと変化を遂げた。

単純に考えると昨日、もともとこの世にあった価値が2倍以上に増えたわけだ。

(ペインティングが施されたTシャツを、ただそこに佇む「モノ」と捉えれば、の話ね)

ボクは宮森の生き様を心から応援する。

たとえ宮森がアートとは別の活動にシフトチェンジしたとしても。

いつかボクも宮森が住んでいる世界を、自分の目で見てみたい。

ひとつだけ宮森に言っておきたいこと

(作品:「マイライフ」)

(以下、事実誤認と誇張表現、誤解を招く表現を含む記載がありました。当ブログ読者の方と宮森氏にお詫びさせていただくとともに、該当箇所には取り消し線を付す対応をとらせていただきます。この対応の経緯と理由については別記事にて改めて書かせていただきます。)

【失敗談】「イジる」つもりで書いた記事が親友を傷つけた話

とまぁ、ここまで褒めちぎってきたわけだけど、友達として宮森にはひとつ言っておかなければならないことがある。

宮森の作品「マイライフ」についてだ。

宮森は普段使っている創作道具や布団、食器、創作活動の結果出る廃棄物に至るまでをギャラリーの中央に配置して、「こうした生活そのものがアートだ」って言ってたよね。

正直ここまでくるとボクには理解が追いつかない部分があるんだけど。

まぁそれはいいとして。

「マイライフ」の左端に配置された「創作活動の結果出る廃棄物」としてのアート、というかゴミそのものとボクは言いたいんだけどね。

いや、だって普通にレトルト食品の空箱入ってたし。レンジでチンする系のご飯の容器も入ってたし。まぁ分別してないことを咎めはせんよ。そこをツッコミ始めたらそれだけで人生終わるくらいの時間かかるからね。

だからまぁ、「廃棄物もアートだ」っていうのも、全否定はしないよ。

理解がない人間にはなりたくないしね。

だ、け、ど。。。

だけどだ。

ここまでボクに必死の思いで宮森のアートを理解しようとさせておいてだ。

個展の片付けの終盤で宮森、言ったよね。

床掃除したゴミとか、マスキングテープ丸めたゴミとか。

最初にそれらを指差して、次に「創作活動の結果出る廃棄物」としてのアートを指差して、言ったよね。

「あ、そこらへんのゴミ全部まとめといてよ、捨てにくいじゃん」

いや。。。

お主!いまキミは「創作活動の結果出る廃棄物」のことをゴミ呼ばわりせんかったか!?

こちとら複雑な気持ちを抱えながらも「創作活動の結果出る廃棄物」をアートとして丁寧に丁寧に取り扱ってきたわけよ。

昨日は寒かったからさ。

鼻水だって出たさ。

ティッシュで拭いたさ。

そのティッシュをそこに置いてあるゴミ袋にブチ込みたくなる気持ちを必死にこらえてポケットの中に押し込んでたさ。

そんなボクにキミはよく言ったもんだ。

「あ、そこらへんのゴミ全部まとめといてよ、捨てにくいじゃん」

ひとつだけ言わせてくれ。

「アート」が「ゴミ」に変わる瞬間があるのなら、次からは必ず、常人に分かる形でそれを伝えてくれ

それだけだ。

うん、もはやこの手紙で伝えたいことはそれだけだ。

終わりに

だけど一生忘れない。

独立を志してからというもの、お金を失う恐怖はボクを長い間暗闇に閉じ込めた。

「プロローグ」との出会い、購入という体験をしたのは昨夜のこと。

今朝、ボクは国境の長いトンネルを抜けたようだ。

ボクの気持ちは今、湯沢の街に負けじと晴れやかに光を放っている。

バイぶ〜