「なぜボクはブログを書けないのか」
こう自分を問い詰める中で、ボクがブログを書く本当の理由に気づいた気がします。
「そもそもイヤなら無理してブログを書かなくてもいいんじゃない?」
と思われる方もいるかもしれません。
確かにボク自身、ブログを書くことが目的化しているだけで、本当は書きたくないんじゃないかと思うこともあります。
だけどボクの中ではどうしても、ブログを書くことに“すがっている”感覚があるんです。
その感覚を今なら言語化できそうな気がするので、今回ばかりは久々に更新までこぎつけたいと思います。(というのも、書きかけの記事が5つほどあるのに、書き上げることができていない。。。)
結論だけ先に言うと、ボクがブログにすがる理由は、
「自分が本当には望んでいないことを知ることができるから」
なんじゃないかなぁと思っています。
ネガティブな書き出しですみません。
ポジティブに終わるつもりですので、良ければお付き合いください(笑
ブログを書く理由は「自分と向き合うため」
そもそもボクがなぜブログを書き始めたかというと、「自分がどう生きたいか、自分と向き合うため」です。
自分の感情を言語化する過程において、自分がどんな人生を送りたいかを知ることができるとボクは信じていました。
信じて「いました」というのは、自分の感情を言語化の「過程において知る」ことは半分正解で半分不正解だと思うようになったからです(←このことについては後から書いてみます)。
「自分の感情を言語化の過程において知る」と言うと少し堅っ苦しいですよね。
これは例えるなら、悩みを友達に相談したら何だか分かんないけどスッキリした!という状態に似ています。
自分の気持ちを相手に話すと「あ、自分ってこんな風に思ってたんだ」って話しながら気づくことってあるじゃないですか。あの感覚です。
ボクは働くことにつまづき、「本当にこれがボクの人生なのか?」と自問自答するようになりました。
これからの人生をスッキリした迷いのない状態で突き進むためにブログを始め、はや8か月。
ブログで感情を言語化する行為は、友達に相談したり、日記を書くよりはるかに難しいと知りました。
なぜブログで感情を言語化することが難しく、書けなくなってしまうのか。
その理由は「自分の言葉に対する違和感」を感じるからです。
ブログを書けない理由は「自分の言葉に対する違和感」
まず前提として、ブログというのは不特定多数の人に読まれるものです。
しかも読み手が自分の書いた文章を読んで、どんな気持ちになるのかは想像することしかできません。
対面でのコミュニケーションであれば、相手の表情のかすかな変化を読み取って自分の発言を修正することができます。
例えば「ごめんごめん!もしかして今ちょっと怒った?いやそんなつもりじゃなくて・・・」
てな感じで、自分の言葉の意図がうまく伝らないと感じたときには「言い直し」をすることってよくありますよね。
この「言い直し」ができないという意味で、ブログは一方通行のコミュニケーションなんです。
一方通行のコミュニケーションであるからこそ、書いているその瞬間の感情を表現することにとても慎重になります。
「ん?本当にそうか?ボクは本当にそう思っているのか?」
「自分を偽っていいヤツに見せようとしていないか?」
「人の注目を集めようと言葉を飾ってはいないか?」
と、こんな感じで書いている途中から自分の言葉に違和感を感じ、自分の黒い部分と向き合わざるを得ないんです。
自分の黒い部分と向き合うのはとてもツラく、どうしても書けなくなってしまう。
正確にはブログを書き始めて、途中で違和感を感じて書き上げることができないんです。
ただ自分の黒い部分と向き合うからこそ、じっくりと自分の内面を見つめることができると思っています。
この意味で冒頭に書いたとおり、自分の感情を言語化の「過程において知る」ことは半分正解なのです。
「言語化の過程で感情を知る」は半分不正解
ではなぜ自分の感情を言語化の「過程において知る」ことが半分不正解なのか。
それはどれだけ慎重に自分の感情を言語化したとしても、1週間、1か月とたつ内に違和感が大きくなることがあるからです。
「いや〜、あんなこと書いたけど、なんか違うんだよなぁ」
と後からジワジワ違和感が出てくるのです。
例えば、ボクはブログを始めて約半年がたったときの節目として書いた記事の中で「日本一自然と遊べるゲストハウスを作りたい」と書きました。
当時(2か月ほど前)は熱を込めて本気で書いたのですが、しばらくたつうちに「日本一」「ゲストハウス」という言葉に違和感を感じ始めました。
(以下、感じた違和感)
うーん。「日本一」って書いちゃったけど、別に誰かと競争して一番を獲りたい!みたいなガツガツした思いはないよなぁ。それよか自分のことを好きでいてくれる人とのんびり自然と遊べたらいいよなぁ。
それに「ゲストハウス」って書いたけど、宿泊業やりたい!ってのは本心なのかなぁ。確かに今まで宮古島とか北海道とか小笠原とか、楽しかった旅の思い出がゲストハウスには詰まっている。だけど「自分の人生のレール上では出会わなかったであろう人たちとの出会い」があれば、必ずしもゲストハウスという形にこだわる必要もないよなぁ。
こんな感じで、本気で書いたはずの自分の文章に対し、後から違和感が出てくるのです。
そしてこの違和感に対して、
・言ったからには実現しないと!
・もし誰かを期待させていたとすると、裏切っちゃうなぁ
と自分を責めてまた苦しくなるのです(←マジメか!笑)
それでもブログにすがるのは「違和感」を知りたいから
ですが自分の言葉に対して違和感を感じるということは、「自分が本当には望んでいないことを知る」ことに他ならないのだと最近は思うようになりました。
そして自分が本当には望んでいないことを知るのは「自分の本当の気持ちを知ること」上でとても大切なことであり、それこそがボクがブログを書く理由そのものだと気付いたんです。
もちろん自分の言葉で誰かを期待させたり、巻き込んだりした後に自分の気持ちが変わったときには、何らかの形でそれを伝える必要があるとは思います。
けどそれも完璧を目指すと苦しくなるので、ほどほどにします。
人の考えはそもそも変わるものだし、むしろ変わらなければ成長していないということですしね(←都合いいなオイ)。
ちなみに「自分がどう生きたいか」を知るためには、「自分が本当に望んではいないこと」の他にもう一つ、「自分が本当に望んでいること」を知る必要があります。
これについてはまた気が向いたときに書いてみます。
お付き合いいただきありがとうございました!!!
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バイぶ〜