どーも、ぶーです。
32歳現役地方公務員、退職を考えています。
突然ですが、今お仕事をされているみなさんは「仕事が楽しくて仕方ない!」って思えていますか??
僕は今の仕事が退屈で仕方ありません。仕事が楽しい!っていう人がうらやましくて仕方ありません。もっと言えば、遊びや仕事の境がなく人生を楽しんでいる人が世の中にはいるらしいじゃないですか(最初に思い浮かぶのがホリエモンさん)。
もうそんなの、「ズルい」ですよねっ。
みなさんも言ってみたくないですか?
「いや〜、もう毎日が楽しすぎてさぁ〜。どっからが仕事で、どっからが遊びか分かんないよね。えっ、年収?あ〜分かんない。まぁ、やりたいこと出来て、食いたいモン食えてるから気にしたことないな〜。」
・・・・・・・。
もう。。。。。
うらやましいの通り越して。。。。。
腹立つんじゃコラァ〜〜〜!!
ってなことを出勤前に書いております。
僕はというと、平凡の「凡」と煩悩の「煩」を掛け合わせて、そこから才能の「才」を引いたようなド田舎の公務員ですよ。
だから、逆に言えば、伸びしろしかない訳ですよね。となれば挑戦するしかないのです。
というわけで、目指すことにします。
「遊びと仕事の境のない人生」ってやつを。
とまぁ、そんなことを考え始めてから約3か月が経ったんですが、その間の出来事や心の移り変わりを時系列で書いてみます(この記事は最初の1か月)。
もし今の仕事を辞めたい、けど辞めることを考えること自体が辛い、という人がいましたら、もしかしたら少しだけ参考になるかもしれません。
1. 脱公務員を考え始めたきっかけ
そもそも僕が公務員を続ける以外の生き方もアリなんじゃないかなぁ、と考え始めたきっかけは中学校の同級生がフリーランスとして活躍していることを知ったことでした。
最初は興味本位で彼のブログを読んでいたのですが、彼自身はもちろん、彼のブログ上で紹介される他のフリーランスの方々もみんな、自分の考えをしっかり持っていて、自分の人生に正面から向き合っているのが素敵だなぁと思いました。
僕自身は10年前、大好きなスノーボードに携わる仕事にするか、安定職の公務員になるかの二択で迷い、同級生が淡々と就職活動をするのを横目に1年間悩んだ結果「とりあえず」公務員になりました。
公務員になってからというもの、先輩や同期たちが一様に結婚→マイホームという人生を送るのを横目で見ているうちに、自分の人生もその選択肢しかないのだと思い込んでいました。
「とりあえず」のはずだったのに、自分の人生に向き合うことをいつしか忘れていたんですね。
そんな僕の目には、自ら決定した道を歩むフリーランスの彼らの生き様がとてもカッコよく映ったのです。だいたい僕より年下の方なんですが(汗)
2. 脱公務員を決定付けた、小笠原諸島での2つの出会い
そして脱公務員の決め手となったのがこの夏、1週間の休みをもらって小笠原諸島へ旅した際、現地で出会った2人の島民の生き方に直で触れたことです。
2人の島民の言葉は、僕の中に敷かれていた公務員レールの横に、行き先が霞みがかって見えないもう1本のレールがあることを僕に気づかせたのです。
(1)脱公務員した「素潜りの学校」の船長“おかちゃん”との出会い
一人目は東京都渋谷区生まれ、元教員で10年前に小笠原に移り住んだ、海と魚突きをこよなく愛するおかちゃん。
僕は魚突きと素潜りの勉強をしたいと思い、初の小笠原諸島訪問にも関わらず、滞在期間4日間全ての日に「素潜りの学校」へ通いました。
このころ既に「脱公務員」に傾きかけていた僕は、おかちゃんに向かって
『こんな最高の海に囲まれて、いつでも魚突きが出来るなんて、移住したくなりますねぇ』
とポロッとこぼしました。するとおかちゃんは
『じゃあウチで船長しなよ!32歳っていったら一番いい年頃じゃん!』
『はっ、はい!!今日からお願いします!!!!』
(ゴクリッ。。。)
『え?えぇ、考えておきます。。。』
僕は驚きました。30歳を越えたら挑戦には遅いと思い込んでましたから。
おかちゃんが何をもって「一番いい年頃」と言ったのかは定かでないです。
けど今の僕と同じ年頃に(公務員と同じく)安定職である教員の肩書きを捨てて小笠原へ移住したおかちゃんの言葉は、僕の心に消えることのない小さな火を灯したのです。
(2)小笠原ユースホステルを営むご一家との出会い
僕が初の小笠原諸島訪問で選んだ宿が小笠原ユースホステルでした。
選んだ決め手は宿のブログ。お客さん同士やスタッフさんとの楽しそうな交流が日々綴られていました。もともと僕にとって旅のメインの目的は「多様な生き方や価値観に触れること」ですから、ぴったりな印象を受けた訳です。
あと、お電話した際のご主人の口調がどこか落ち着くと言うか、とっても好きでした。実際お会いしても素晴らしい方でした。
で、印象に残ったのは小笠原ユースホステルを営むご一家の女将さん(?)の言葉。
僕が「素潜りの学校」で突いてきた魚をキッチンで捌くのをお手伝いしていただきながら、目を細めてこうおっしゃいました。
『他では見ることが出来ない最高の朝日や夕焼けを毎日見ることが出来て、素敵なお客さんから元気や刺激を頂いて。ありがとうって言わなきゃいけないのはこっちなのに、お金をいただいたうえにありがとうって言ってもらえる。こんな幸せな人生ってないわよねぇ』
この言葉は僕に2つのことを考えるきっかけを与えてくれました。
1つは、「幸せって何だろう」ってこと。
(いい意味で)サービスに見合わない宿泊料金からしても、垣間見える生活の様子からしても、ご一家が決して贅沢をしているようには見えなかったのですが、とっても幸せそうに暮らしていらっしゃいました。
きっとお客さんには見せない苦労や悩みはあると思います。けど、初めて訪れた僕をあれほど幸せな気持ちにさせてくれたのは「お客さんを喜ばせることが自分たちの幸せ」と心から思っているからなんじゃないかなと。
自分のことでいつも精一杯な僕には新鮮な気づきでした。
2つ目は、「お金って何だろう」ってこと。
お金は「辛い思いをしながら我慢して働いたことで得る対価」だと僕はずっと思っていました。
お客さんから、心からのありがとうと一緒に受け取るお金って。。。
「人を喜ばせたからお金をもらえたってこと!?!?」
確かに普段飲食店でお会計の際に「ありがとうございました」とは僕も言います。
ですが、心から「お金をこの人に払いたい、応援したい、ありがとう!」って思って払ったお金を受け取った方が放った言葉は、別次元の重みで僕の心を動かしました。
3. まとめ(やっぱ脱公務員するわ)
長々と思うままのことを書きましたが、ハイッ!まとめ!(←無理やり)
偶然のタイミングが重なったこともありますが、僕が心からいいなぁって思える人生を送る人たちの生き方について読んだり、実際に触れたりしたことで直感的に
「あ、公務員続けるのは僕の生き方じゃないな」
って思いました。
週に5日間も嫌なこと(仕事)を我慢して得る収入や安定、社会的地位とかは僕にとってはそんな大事じゃないなと。
いや、たぶんそれらは失った時に初めてその大切さに気づくんだと思います。
けど、今の僕には隣の芝はメチャメチャ青く映る訳ですよ!どれくらい青いか、実際に隣の庭に行ってみないことには分からないんですよ!ずっと指をくわえたまま自分んちの庭が茶色いことに嘆き続けておじいちゃんになるのは我慢出来ないんです!
ってなことで、考え始めて1か月目の時点で僕は脱公務員を半ば決心しました。
次に何するかは決まっていないのにね。
次の人事異動のタイミングである3月末に辞めて、すぐに小笠原に移住しようかとも考えましたが、僕は冬に大好きなスノーボードが出来ないのはツラいです。
まずは公務員を辞めたとして、次に何をしたいか、ノートに書きなぐりました。
そりゃもう、ワクワクしかありませんでした。
けど、単純でバカな僕でも、必要な分のお金を稼がなきゃいけないってことは分かります。
お金がないばっかりにお金に執着したり、好きなことを出来なくなるのは今よりもっと不自由かもしれません。
それに、たぶんですが、好きなときに好きなことを出来るようになったとき、きっと物足りなさを感じると思うんです。
きっと、誰かのために何かをしたいって思うはずなんです。
そのときに、時間や場所やお金の制約によって何も出来ないのはとても悲しいことだと思うんです。
だから、まずは「自分が生きる目的」みたいなものをハッキリさせた方がいいのかなと思いました。
ここら辺までが脱公務員を考え始めて1か月の間に起こった出来事と、心の変化です。
>>>続きはこちら:脱公務員を決意するまでの出来事と心の変化②(2ヶ月目〜うっすらと「なりたい自分」が見えてきた〜)
バイぶ〜