まずは「自分が生きる目的」みたいなものをハッキリさせないと。
そう思って「自分が生きる目的」について考え始めたら、悩むことになって、悩み過ぎて何から手つけていいか分からなくてなって、「もうウツになりかけかも」ってところまで心が落ちた時期もありました。
ですが悩み抜いたその先に「ま、とりあえず今の僕のレベル(←スライムなら素手で倒せるくらい)なら、こんなもんかな」と思えるくらいの「自分が生きる目的」を仮設定できたので、書いてみます。
よく「目的がない奴はブレブレだし弱い!」みたいなこと聞くけど、自分の成長に応じて目的だって更新すればいいじゃん!
目的探ししてるうちに人生の終わりを迎えるより、手探りでも踏み出して成長しよう!
成長する中でも目的と向き合うことさえ忘れなければ、その時々で「真の目的」に近づける気がする!
なーんて、思う訳です。
えっ?「ポジティブは世界を滅ぼす」って?
誰だぁ、んなこと言ったヤツ!出て来いヤァ!
出てきたら・・・
出てきたら・・・
ほっぺにチューしてやっかんなぁ!!!
こちとら32歳のオッサンよ!
ぶん殴られるよりよっぽど痛いんだぞ〜〜〜おあぁぁぁ!
1. 「自分が生きる目的」について考え始めたきっかけ
そもそも「自分が生きる目的」について考えるきっかけとなったのが、僕が脱公務員を半ば決心し、あれもやりたい、これもやりたいと思考がまとまらないときにちょうど手に取っていた「エッセンシャル思考」という本の中での引用文です。
まだ迷っているなら、人生がいかに短いかを考えてみてほしい。残されたわずかな時間を、一体どのように使いたいのか。
メアリー・オリバーの有名な詩の一節を引用しよう。
「教えてください、あなたは何をするのですか。その激しくかけがいのない一度きりの人生で」
(引用元:「エッセンシャル思考」グレッグ・マキューン著)
この問いかけを受けたとき、ハッとしたのを覚えています。
それまでは・・・
公務員辞めたら何しようかなぁ〜、小笠原に移住して毎日魚突きしたいな〜、でも冬になったら北海道に住んでスノーボードしたいな〜、けどそのうち家庭を持ちたいよな〜、いや、登山やキャンプも捨てがたいぞ、う〜ん迷うな〜(←今思い返すと腹立つくらいバカ、けど、バカは継続中)
ってな感じで、やりたいことはいくらでも浮かんできました。
ですが、そんなノーテンキな僕に突きつけられた問いは
「教えてください、あなたは何をするのですか。その激しくかけがいのない一度きりの人生で」
そりゃぁ、答えられませんよね。
魚突きもスノーボードも家庭も、どれをとっても捨てられないくらい僕にとって大事なのは間違いないのですが、メアリーさんが真面目な顔をして僕に問いかけたのです。
この問いに対して、「んーっとねぇ、あれもしたいなぁ、これもしたいなぁ、ん?こんなことだってしたいぞ!」なんて答えたら・・・
どんなに優しいメアリーさんでも、僕の大嫌いなフナムシがうじゃうじゃにうごめく洞窟に僕を連れって行って、天井から僕のことを逆さ吊りにするくらいのことはやってのけるんですよ。顔面は地面を動き回るフナムシすれすれですよ。ただでさえ気が狂いそうな僕を、メアリーさんはフナムシの触覚を編み込んだムチで何度も何度も叩き続けるわけですよ。
ですから、僕は考え抜いた挙句、メアリーさんに答えました。
「遊び人に、僕はなる!」
海賊王を目指すルフィもびっくりするくらいの勢いで自信満々に言い放った僕に対し、メアリーさんはこう言いました。
「あらまぁ・・・」
2. 「遊び人」という概念について
このブログのタイトルとした「遊び人」という概念ですが、現段階でのイメージでは
「遊びに没頭し続ける人生」
という感じです。
自分で言っておきながら、毎月給料をもらって生きてきた僕にとってみれば「んなこと言って、どーやって食ってくの?」って感じです。
ですが僕のこれまでの生き方を振り返ってみても、人生の分岐点に差し掛かった時、常に「遊び」が判断の基準でした。
・大学進学を選ぶ際、一番スノーボードをするに適した環境を得られる大学を選んだ
・就職を決める際、大好きなスノーボードに携わる仕事にするか、安定した給料と休暇を得られる仕事に就くかで迷い、よりスノーボードに行く時間を確保できそうな後者を選んだ
また自分が今まで学んできた重要なことのほとんどは、勉強や仕事を通してではなく、遊びを通して主体的に学ぶ中で経験的に得られた知見であったようにも思います。(←知見とかムズかしい言葉使っちゃってぇ、あったまいぃ〜!)
魚突きであれスノーボードであれ、遊ぶという行為を常に最優先してきた僕にとっては、遊びこそが学びの場であり、遊びこそが人の役に立てる武器でもありました。
自分でも安直だなぁ、と思う限りなんですが、
遊ぶことを価値(お金)に変え、得たお金で誰かの幸せに貢献する
こんな生き方を探ってみたいと、真剣に思っております。
ところで、みなさんは「遊び人」という言葉から連想するのはどのような人ですか?
・暇さえあれば女性を口説いてその気にさせて、遊んだあげく飽きたらポイッてするチャラ男
・裕福な親のスネかじりながら高級車乗って、ブランド品をひけらかすボンボン
という感じではないでしょうか。違ってたらすみません。僕自身がまず上のようなお二人を思い浮かべるモンですから(笑)
今はちょっとネガティブなイメージがある言葉かもしれませんが、「遊び人」という生き方は近い将来、職業の一つとして数えられるようになる気がするんです。
もう聞き慣れた数字かもしれませんが、「65%」という数字が僕はワクワクするので大好きです。
「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」
(引用元:2011年NYタイムズ誌インタビューにて キャシー・デビッドソン氏
ブロガーだって、ユーチューバーだって10年前には誰も職業として認知していなかったのではないでしょうか。
そう考えると今はまだないという理由だけでは、10年後にも「遊び人」という職業がないということは言い切れませんよね。
それに、僕がイメージする「遊び人」に近い生き方を既に送っている方もいます。
いわずと知れたホリエモンさんです。
“遊びを仕事にして、仕事を遊び倒す人生”
僕の人生を簡潔に表すとこうなる。他人からは遊んでいるように見えるかもしれないが、実は仕事をバリバリこなしている真っ最中、というようなことがほとんどだ。本書のテーマでもある「学び」も同じ仲間だ。すなわち「遊ぶ」「働く」「学ぶ」を同化させた、三位一体型の人生を僕は送っている。
(中略)
あるいは、一つのアクションが、遊びとも、仕事とも、勉強とも解釈できる。そのような状態を僕は「遊び倒す人生」だと考えている。
(引用元:「すべての教育は「洗脳」である」 堀江 貴文 著
ちなみに、ちょっとだけ本のオススメをしておくと、
「すべての教育は「洗脳」である」という本は結構ショッキングなタイトルではありますが、読んでみると「なるほど!」と言わざるを得ない確かな説得力がありました。
賛否両論ある内容なのかもしれませんが、常識とされている価値観を再点検する意味で是非一度手にとっていただきたい本です。
「遊び人」という言葉は僕にとってすごく思い入れがあるので、少し文章も長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!
3. まとめ
いつにも増してまとまらない「まとめ」です。
思うままに結構軽いノリで書いた部分もありますが、本当に辛い時期もありました。
いっときは仕事中も上の空で、業務書類の意味を理解するため一生懸命読むのですが、何度読んでも文面を目で追っているだけで全く頭に入ってこないという状態が続きました。
ひどい時には朝イチで開いた業務指示のメール(普段なら数分で理解できるレベル)の意味が頭に入ってこず、その状態が悔しくて、何度も何度もメールを読むもののなお理解出来ず、そのまま1日が終わったという日もありました。
ついに頭がおかしくなったかと思うと、目から自然と涙がこぼれました。
そんな時僕を救ってくれて前を向かせてくれたのが、反対するだろうなぁと思いながらも相談した時の母親の意外な一言でした。
母親ってやっぱスゴイんだなぁ、という話を「3か月目」にて書いてみようと思います。
>>>続きはこちら:脱公務員を決意するまでの出来事と心の変化③(3ヶ月目〜悩みの渦から僕を救った、母親の言葉〜)
バイぶ〜