つい最近の週末3連休のこと。
何もやる気が出ず、3日間ほとんど布団から出られないことがありました。
目は覚めているのに、頭の中はずっとモヤモヤ。考え事をするうちに気づけば昼過ぎに。
(これからの自分の生き方に迷い始めてから、こんなことは割としょっちゅうなのですが。。。)
どこに向かって進みたいかも分からないのに、「前に進まなきゃ」という焦りだけはありました。
なんとか布団からはい出て、ブログを書こうとパソコンの前に座るのですが、半日経っても1文字も書けず。
ついには書くことをあきらめて、最近登録者数がすごい勢いで伸びていると噂の「エガちゃんねる」を、全タイトル2周見るという謎の行動に出ていました(笑)
(お茶の間の暴れん坊とのイメージが強かったエガちゃんが、「目の前に悲しんでいる人がいたら、オレは警察に捕まってもいいからその人を笑わせたい」という、優しさと信念の塊だったことに勇気づけられたので良かったです)
一度は自分のモヤモヤした感情に蓋をしようとしました。
ですがある2つのきっかけがあって、久々に今はパソコンに向かっています。
いつかボクが、真っ直ぐに前を向いて突き進めるようになったとき。。。
今のボクと同じように悩む方がこの文章にたどり着いたなら、「あぁ、ぶーってヤツにもこんなときがあったんだなぁ」と、ツラい気持ちに少しでも寄り添うことができたら嬉しいです。
「何もできない」状態について書くことにした、2つのきっかけ
きっかけ① あんちゃさんの「無題」を読んだ
地味で緻密な校正作業を繰り返す日々の仕事に疲れ、ストレスがボクの小さな器からダバダバと漏れだしていたとき。。。
真剣に情報発信に取り組む人なら知らない人はいない、あんちゃさんの「無題」という記事にボクは出会いました。
(あんちゃさんのブログ「無題」より、一部抜粋)
なんだか今日は心が落ち着かなく、モヤモヤしたものが頭ん中に滞留してるので
それを吐き出すために言葉にしている。もっと死ぬ気で自分のやるべきことに無我夢中で取り組みたいという気持ちがありながら身体がついていかなくて何も動けなくて、そしてそんな自分の有り様に嫌気が差す・・・なんて経験は腐るほどあって、今もそんな状況にある。
(略)
だから、くよくよ葛藤したりするけど、
わたしもいつか、周りの人を支えられる人間になろうって思いながらあとちょっとだけ仕事して寝ることにする。よし。
引用元:「まじまじぱーてぃー」byあんちゃさん
あんちゃさんの言葉はいつも、肚(はら)の底から吐き出された力強いエネルギーでボクを励ましてくれます。
そんなあんちゃさんですら「動けない」ときがあり、その感情を言葉にした文章がボクに共感と励ましを与えてくれました。
もちろん今のボクがあんちゃさんのように誰かを励ますことはできないと分かっていますが、「モヤモヤを文章にして気持ちに整理をつける方法もあるんだ」と気づかされました。
きっかけ② ぽかべさんの記事「私は『あんちゃさん』になることをやめた」との出会い
あんちゃさんの「無題」を読んだ数日後、何気なくTwitterを眺めていたボクは、偶然ぽかべさんの記事を見つけました。
ぽかべさんとは面識こそないものの、「ワークキャリア養成講座(前「いなフリ」)」の講師を務められているようで、ボクの友人との繋がりがあるようでした。
(ぽかべさんのブログ「私は『あんちゃさん』になることをやめた」より一部抜粋)
なんでこんなにモヤモヤするんだろう?という疑問を、必死で自分に問いかけた。これは、自分の汚い感情と真正面から向き合う作業だったので、かなり苦痛だったのを覚えてる。
(略)
「何か」を見つけたいけどその「何か」がどこにもない。
もうやることなすこと全てが中途半端なのを自覚していて、本当に苦しかった。
(略)
ワクキャリの場を借りながら、点と点が繋がって、自分がどういうときに幸せを感じるのかを発見できたと思う。
「性×本音で話せる場所作り」を目指していこう!と再出発することができました。
これが今の私にとっての方向性になっており、わりと揺るぎない感じなのが嬉しい。
引用元:「ぽかリゾート」byぽかべさん
ぽかべさんが「モヤモヤする」状態を書いた文章は、今のボクをそのまま言葉に表したようでとても救われた気分になりました。
ただ気持ちがスッと軽くなったと同時に、ボクも自分の感情を自分の言葉で、自分に対して説明したいと思うようになり、この文章を書いています。
「何もできない」「ツラい」・・・ってどんな状態?
これは感覚的なものなので言葉で説明するのは難しいのですが、一言で言い表すなら「自分の行き先が分からない」状態です。
ボクがこのブログを書き始めたのは「公務員辞めたい」という後ろ向きな気持ちからですが、これまで数ヶ月間「そもそも自分はどう生きたいか」という模索を続けています。
模索と言っても、「自分探し」というような言葉が当てはまるような軽いものではなく、「暗中模索」と表現した方が近いかもしれません。
出口がどこにあるのか。出口があるかどうかすら分からない真っ暗でだだっ広い部屋の中。
「お前なんて嫌々でも公務員続けるしか能はねぇんだよ!」
「きれいごとばっか並べてんじゃねぇよ!」
「実績出してから語れよ!」
キツい言葉を浴びせられながら手探りで出口を探すような感じです。
言葉の主はもちろん、自分自身です。
「何もできない」「ツラい」・・・その理由は?
ではなぜこうした暗い気持ちになってしまうのか。
3日間布団の中でグルグルと考えていたことを、ボクなりに言葉にしてみます。
理由① 自分の“本音”が自分でも分からない
ボクはここ数ヶ月間、「自分がどのように生きたいか」について考え続けてきました。
大好きだったじいちゃんの死や、両親との会話の中で、ボクの出した答えは「人を幸せにする生き方」でした。
>>>関連記事:やっと気づけた。ボクは自由に生きたいんじゃない。じいちゃんのように死にたいんだ
この記事に書いた気持ちに嘘偽りはありません。
ですが自分の行動を振り返ってみると、今も昔も自分のことばかり考えていることに気づきます。
「人を幸せにする生き方」を送りたいと語りながら、自分の行動をそれに合わせられない。
自分の「言葉」と「行動」のギャップに底知れない気持ち悪さを覚えると同時に、結局自分は他人の期待の中に生きているのでは、とも思ってしまいます。
理由② 「自分らしくありたい」が「何者かにならねば」にすり替わる
「何者かにならねば」とは、ぽかべさんの言葉ですが、とてもしっくりきているのでそのままお借りします。
ボクは自分の生き方を考えるにあたり、理想とする生き方に近い人生を送っている人の本を読んだり、実際に会いに行ったりしてきました。
「人生の師匠」とも呼べる方々の苦労話や成功談を聞くと、不思議と自分にも似たようなことができるような気がして元気がもらえます。
師匠たちの“いいとこ取り”をすれば、少しずつ自分なりの“答え”に近づいていくという感覚が生まれるんですね。
ですが答えに近づいたと思うのも束の間、すぐに迷子になってしまうんです。
師匠たちの輝かしい成果に目が行き、「自分も早く成果を出さねば」という焦りに支配されていることに気づく。こうしたことが何度もありました。
今思えば、自分を他者と常に比較し、自分の弱みばかりに目がいっていたような気がします。
日々仕事で疲れきっている状態(2月は待機命令などで65時間の残業)で「やらねば」の義務感に追われると、必ず息切れする日がやってくるということを、33歳にしてやっと学びました(笑)
理由③ あれこれ手を出す中で、どれもが中途半端
ブログを書く、Twitterで発信、人と会う、シェアハウスプロジェクト、体づくり。
限られた時間の中で、自分がすべき最低限のことを選んできたつもりでしたが、結局今はどれも中途半端になっています。
「次はこれやります!」
ボクは声高らかに宣言して自分を追い込むことをしてきました。
ですが焦りのあまり自分の限界を考えずにした宣言は、結果に結びつかないことで「挫折感」として自分に跳ね返ってきます。
「“遊び人”なんだから、もっと遊べばいいじゃん」
ボクの彼女はこう言ってくれます。
そのとおりだなぁ。ボクは世界一遊んでいない“遊び人”だなぁ、と思いつつ。。。
多いときには年間150日していたスノーボードを、今シーズンは1度もしていません。
布団の中でゴロゴロ考えるくらいなら、山でリフレッシュしながらリフトの上で考えればいいのに、と思うのですが、妙な焦りがあるので山には行けてません。
まとめ
「何もできない」、「ツラい」と感じる理由を自分なりにまとめてみました。
・自分の本音が分からない(他人の期待に生きている?)
・自分を他人と比較し、自分の弱みに目がいっている
・焦るあまり無理な宣言をして、できない自分を責める
モヤモヤの正体を自分なりに理解できたので、だいぶ気が楽になりました。
今はまだ暗い部屋からの出口は見つかっていませんが、かなり遠くにうっすらと光が差しているような気はします。
「緩めることを覚えなさい」
ボクが大好きな、山形県の蔵王にいる“師匠”がくれた言葉です。
少し休んで、遊んでみることにします。
ちなみに、「公務員を続けるからこそ、できることもあるんじゃ?」とも最近は考えるようになりました。ずっと続けるつもりはありませんが。
このあたりについても、気が向いたときに掘り下げてみようと思います。
最後に、ボクがモヤモヤした気持ちに立ち向かう勇気をくれた「あんちゃさん」、「ぽかべさん」にお礼を言って終わりにします。
ありがとうございました!!!
バイぶ〜